早稲田大学競走部vol.355 [無断転載禁止]©2ch.net 1 : ゼッケン774さん@ラストコール :2017/01/05(木) 16:23:02.65 ID:5skdbVvp 早稲田大学競走部HP 早稲田大学競走部 vol.409。scの画像。2ch過去ログです。 | 予選会のヴェイパーフライ率の高さ amd.c.yimg.jp/im_siggppIP..9-view.jpg 競走部の長距離は、副主将は置かなかった気がする。 998 スポーツ好きさん (ワッチョイ 8ba3-pTrw [153.232.43.130]) 2019/10/04(金) 23:03:37.49 ID:wYdgIcRR0 井川は一年生の寮の当番制に不満を持ってるみたいだな 早稲田大学競走部 vol.432。scの最新50。2ch過去ログです。 | 長南! | 吉本! | 石塚! | 若林 | 伊藤! | 鶴川! 早稲田大学競走部 vol.409。scのレス1-50。2ch過去ログです。 | 10位か11位かな? | 11番目が向井 ビリが宍倉かな 事実、高速化が顕著になった第88回と第90回から第95回までの計7大会は、復路の鶴見中継所(10区スタート地点)は4チーム以上が繰り上げスタートになっていた。同戸塚中継所(9区スタート地点)でも第88回と第90回から第95回までの計7大会は最低1チームは繰り上げスタートになっていた。さらに、第92回から第94回までの3大会は復路の平塚中継所(8区スタート地点)で繰り上げスタートが発生していた。, ただ、第96回では上位校が軒並み区間記録を更新したにも関わらず、下位の大学も健闘し、結果、繰り上げスタートは鶴見中継所での3チームにとどまった。最下位の筑波大学も11時間16分13秒と最下位の記録としては歴代最高タイムであり、各校の戦力も徐々に均衡するようになってきている。なお、筑波大学が本大会に出場したのは第70回記念大会(1994年)以来、26年振りのことであったが、タイムは同じく最下位(20位)であり、第70回よりも30分以上速いものであった。, 続く第97回でも、下位の大学も健闘し、結果、繰り上げスタートは鶴見中継所での2チームにとどまった。, 第32回大会が開催された1956年の12月11日、箱根町の国道1号線・宮ノ下界隈に於いて駅伝練習(試走)を行っていた専修大学の学生、小山国夫が交通事故に遭い、死亡した。事故当時、小山は前記国道1号線を駆け下りていたところだったという。ちなみに小山は、前記第32回大会に専修大学の第7区走者としてエントリー、1時間13分35秒のタイムで第9位という成績を残していた[69][70][71]。, 事故から2年余り経過した1959年3月5日、宮ノ下観光協会の手により、小山に対する鎮魂の意を込めた当駅伝35回記念碑が建立された。その記念碑は宮ノ下交差点から元箱根方向に約300m上ったところの右手、箱根神社宮ノ下別院付近に存在し、裏面には小山の母親による鎮魂の句が刻み込まれている[69][70][注 19]。, なおコースに於ける事前試走については、現在、安全上の理由から当駅伝の主催者・関東学連により禁止されている。しかし実際には、箱根山中を試走する箱根駅伝出場ランナーとおぼしき姿が散見されている[69]。, 2005年3月には芦ノ湖畔に箱根駅伝を題材にした箱根駅伝ミュージアムがオープンした。スポーツを題材にした博物館は多いが、1つの行事として[注 20] 博物館化されることは極めて珍しい。運営は富士屋ホテルが行っている。, 箱根駅伝復路の翌日から2日間、出場した大学の学生たちなどがゴミ拾いして同じコースをもう一度歩く。1998年に神奈川大学のウォーキング活動を復活させる動きがきっかけとなり、2006年に「大学対抗・ゴミ拾い」の形式でリニューアルされた。「もう一つの箱根駅伝」と呼ばれた。, 日程は往路の5区間を2日に分けて行い、1日目が東京・大手町から神奈川・平塚までの3区間。2日目は平塚 - 箱根の2区間をゴミ拾いしながら歩く。順位は1袋10Pで半分だと5P。到着時間は最後のチームを基準とし、1分早いごとに1Pが加算される。, 当初は大学のみだったが現在は一般の参加も可能となり箱根駅伝に出場できない女性や社会人、海外からのチームも参加している。, 2011年に「もう一つの東海道駅伝」と名称を改め、京都・三条大橋までのゴミ拾い駅伝を実施。東京 - 神奈川間以外に活動を広げた[73]。, 箱根駅伝は日本のスポーツの中でも長い歴史を持つイベントである。そのために様々なエピソードが生まれた。, 箱根駅伝は、1987年以後の全国完全生中継(日本テレビ)による人気沸騰により、多くの問題が浮き彫りにされてきた。以下に主要な議論をまとめる。なおこれらを解決すべく、関東学連に設けられた「駅伝対策委員会」の存在に期待が集まる。, テレビの全国生中継開始と同じ、第63回(1987年)に初出場を果たした山梨学院大学は、出場3年目にしてアフリカ人留学生の選手を呼び入れた。主催者側の判断により箱根駅伝を外国人選手が走ることができるようになり、その圧倒的な走りで新風を巻き起こした。特に、彼らは往路のエース区間とされる「花の2区」で、「ごぼう抜き」を演じるケースが非常に多かった。その後、山梨学院大学が彼らの快走によって3回の総合優勝を果たしたことと、初出場からの連続出場を30年以上も続けたことも、アフリカ系留学生の増加に拍車を掛ける大きな要因となっている。, 1980年代後半からレース全体のスピードアップが進んだことにも、留学生の登場が大きく影響している。既に全国高校駅伝やニューイヤー駅伝では、外国人選手の起用制限事項(1チームあたりのエントリー数、起用区間の制限など)があり、箱根駅伝においても第82回(2006年)からは、前述の内規第9条を変更し、16名のエントリー時点では2人まで登録可能だが、実際に本番で走ることができるのは1人に限ると決められ、2005年秋に実施された予選会より適用されている。2006年以降本番で留学生を2名エントリーしたのは山梨学院大学(第85回 2009年・第92回 2016年)、日本大学(第86回 2010年・第89回 2013年・第92回 2016年)、拓殖大学(第87回 2011年・第88回 2012年)、国士舘大学(第95回 2019年)、東京国際大学(第96回 2020年・第97回 2021年)の例があり、いずれの例も、実際に本番で走ったのは1名のみで、もう1名は補欠選手となった。なお、三大大学駅伝の残り2つのうち「全日本大学駅伝」では2011年より箱根駅伝と同様、人数規制が行われることになったが、「出雲駅伝」においては規制がない。, もっとも、留学生を起用したからと言って必ず好成績に結びつくとは限らない。実際に留学生を擁して総合優勝を果たしたのは前述の山梨学院大学のみで最後に優勝したのも第71回(1995年)と四半世紀近くにわたって新たに留学生を擁して総合優勝を成し遂げた大学は出ていない。そしてシード権に至っても例外ではなく、第93回(2017年)においては山梨学院大学・創価大学・拓殖大学・日本大学の4校が留学生を(いずれも2区で)起用したが、創価大学の12位が最高位で日本大学に至っては19位と4校すべてがシード落ちしている。, なお、箱根駅伝でアフリカ系留学生が走ったのはこれまで山梨学院大学、亜細亜大学、平成国際大学、日本大学、拓殖大学、東京国際大学、創価大学、国士舘大学の8校である。, 大学経営策の一環として、箱根駅伝にPR効果を期待する大学が増えている。そのため「陸上競技部」と称しながら実際には長距離部門を中心に運営している大学や、挙句の果てには「駅伝部」を称する大学、「陸上部監督」とは別に、駅伝に特化した「駅伝監督」なるポジションが存在する大学も見られる。予選会に出場する大学の中には予選会に全力を傾けるため、インカレへの出場に消極的になりがちな大学もある。, 予選会の成績に関東インカレのポイントを導入した背景には、上記の「駅伝偏重」対策が大きく影響している。主催者側も箱根駅伝を「世界に通じる陸上競技者の育成」としており、その原点に立ち返る意味で導入した。このシステムは導入時から物議を醸しており、関東学連も導入後5年を経過した2007年を機にシステムの再構築も考える可能性を残した。一方で廃止論などに対し沢木啓祐は「たまたま同じ大学が悲劇の対象になっているだけ」という見方を示し、既に導入から5年経過しており各大学とも対策を練っていると廃止論を一蹴。青葉昌幸も「出場枠増にも様々な経緯があるだけに、そのような事情を知らないで(落選したチームが)かわいそうだと言われても困る」とコメントしている。総じて関東学連側は、見直し論については当初の予定どおり検討。第84回(2008年)の予選会よりポイント方式が変更されたものの廃止には否定的な見方を示していた。, インカレポイントについて、第86回(2010年)終了時から廃止・継続又は新制度の導入などの議論を重ねた結果、2012年6月6日に行われた関東学連代表委員総会において、第89回(2013年)は現行どおり実施、第90回(2014年)は不採用とすることが決定された。第91回(2015年)以降については、廃止・継続のいずれの可能性も残し、継続して検討を重ねたところ、2013年6月10日の関東学連代表委員総会で「インカレポイントは5年に1回の記念大会にのみ採用する」と決定された。具体的な運用については今後決定するとしている[75]。現在検討されている方式は予選会の枠とは別個に予選会が免除される「インカレポイント枠」の創設である。この方式では、直近5年間の関東学生対校選手権の総合順位とエントリー人数をポイント換算して上位1位の大学が本戦の出場権を獲得することになる(時事通信社の報道による)[76]。, 2014年3月31日の関東学連代表委員総会において、従来の関東インカレポイントにかわって、第95回大会からの5年ごとの記念大会において5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が創設されることが正式に決定された[4]。しかし、第95回大会後、この関東インカレ成績枠は1回限りで廃止されることが決定。今後インカレポイントがどのように活用されていくのかは不明である。, 箱根駅伝を出雲駅伝・全日本大学駅伝とともに「大学三大駅伝」と並び称する人やメディアも少なくないが、出雲駅伝と全日本大学駅伝が全国大会(主催:日本学連)なのに対し、箱根駅伝は日本学連傘下の一組織である関東学連が主催する地方大会にすぎないため、大会としての格は明らかに下である[注 21]。しかし、近年では関東の各大学が、年間の最大の目標を箱根駅伝に置く傾向が強く[注 22]、更に、箱根駅伝は全日本大学駅伝や、出雲駅伝に比べて、区間数や、1区間あたりの距離の平均が非常に大きい上、他の学生駅伝には無い「山登り」「山下り」の区間も存在する(学生駅伝の中では最も過酷である)ため、全国大会で本来最も権威の高いはずの出雲駅伝と全日本大学駅伝を、単なる箱根駅伝の前哨戦又は調整試合という意味合いで戦い、必ずしもベストメンバーを送り込まない大学も少なくない。また、地方大会であるはずの箱根駅伝が学生駅伝最大のイベントになったことで、他の大学スポーツと同様、長距離の人材の東京一極集中が起こっている。, このほか、関東地区の地方大会がゆえに当大会の出場は原則として関東学連の加盟校に限られる一方、テレビ報道の影響により全国的に知名度が高いスポーツイベントになったことで、他地域の大学への門戸開放を求める声がしばしば発生する。, 関東学連では1960年代に予選会への出場を他地域のチームへの門戸開放を検討したこともあるが、予選会への参加を全国に開放した場合には全国大会となるため、大会の主管を日本学連へ移す必要が生じる。開催の主導権が変わることを避けたかった関東学連有力校のOBらが中心になって反対したため、結局この時の門戸開放は実現しなかった。, この動きを受けた他の学連は、関西学連・東海学連が中心になり、箱根より高い権威を持つ全国大会を創設する目的で全日本大学駅伝の創設に導いた。こうした事情から、関東学連は全日本大学駅伝の創設に最後まで反対。これ以降は箱根駅伝を関東以外の大学に開放しようという意見は消滅することになる。なお、第90回(2014年)では記念大会による増枠分3枠を関東以外のチームに与えるとの報道がされていたが、学連選抜としてなのか単独チームとしてなのかは明らかにされていなかった[注 23][注 24]。結局、上記の学連選抜チームの記載のとおり、関東のチームのみとなった。, しかし近年、全日本大学駅伝の出場校が関東の大学と他地域の大学で実力差が如実に反映されるようになった。これは男子学生駅伝の特有の現象であるとされる[注 25]。上位をほぼすべて関東の大学が占める一方で、地方から出場している大学が半分も行かない地点で既に繰り上げスタートになってしまう事態が発生するに至って、全日本大学駅伝の権威が著しく低下している。, 文部科学省では現在でも、全国大会は、実力本位の選手権大会と、選抜大会の2つしか開催しないよう学生競技団体へ指導を行っており、箱根駅伝が国内の全大学に門戸開放されると、全国大会として運営されている出雲駅伝および全日本大学駅伝との関係が問題となる。しかし現実には箱根駅伝が、現存する日本の駅伝では最も長い歴史を持つ大会であり、知名度も高いことを勘案すると、長年にわたり主催してきた関東学連が当大会を手放すことは考えにくい。, 2010年1月に行われた監督会議では、関東学連選抜枠を「廃止」もしくは「『全国』にも門戸を開く」案を含めて見直しの方向に入るとマスメディアによって報じられ[77]、第89回(2013年)までは存続した[78]。それ以降については学連選抜チームの記載を参照。, 2017年11月6日、関東学連は、第100回を迎える2024年の記念大会より全国化を検討していることを明らかにした。現時点での試案として、前年秋の予選会において一定のタイムの基準を満たせば、関東地区以外の大学も出場できる案、本戦もオープン参加としてではなく、正式な記録として認め、同記念大会以降も同様の形式とする可能性が挙げられている[79][80]。, 従来はテレビ東京によるゴールのみの放送だったのが後述の通り1987年から日本テレビによる全国ネットでの完全生中継が始まると、大学側の広告な側面も見せ始め、結果的に勝負至上主義的な駅伝競走となっていった結果、下記のような弊害を見せ始め「不要論」として語られるようになっている(ちなみにこの競走は全国選手権大会ではなく、上節でも述べられているとおり、関東ローカルである)。, 箱根駅伝のために持久力を付けることを考えて長い距離を走らせる練習ばかり行い、速度を付けさせるトラック競技を軽視することで、選手に速度が身に付かず、世界大会で勝てなくなるという指摘がある[81]。高校時代のトップ選手であった遠藤日向や、外国人留学生のジュリアス・ギタヒ、サムエル・ワンジル、ビタン・カロキのように、敢えて関東の大学に進学せず、直接実業団に入る例も見られる。, 箱根駅伝で大活躍した選手が大学卒業後に実業団に入ったものの、期待された程の活躍ができずに故障や不調に悩まされて引退した選手も少なくない。出場できても卒業せずに中退した者まで現れている。, 箱根駅伝創設の目的は「世界に通用する長距離選手の育成」であるが、実際には多くの選手が箱根駅伝を最終目標としており、卒業後は実業団に進まず競技の第一線から退くのが現状であり区間賞・区間新記録を樹立した選手も例外ではない(中澤晃、鐘ヶ江幸治、高橋宗司)。一方で、箱根駅伝という大きな目標があるからこそ、モチベーションを保って陸上競技を続けている選手が多い、という一面もあり、日本の男子陸上長距離界の裾野の拡大に箱根駅伝は貢献していると主張する者も多い。, 大学陸上部関係者が事件や不祥事を起こした場合、各大学で相応の処分がなされるほかに、箱根駅伝参加大学に対しては競技団体である関東学連が同連盟の規約に基づき審査を行い、当事者又は所属大学に対して罰則を与えることがある(規約第62条)。, 第55回(1979年〈昭和54年〉)から東京12チャンネル(1981年〈昭和56年〉にテレビ東京へ改称)が初めてのテレビ放送を開始した(1979年から1982年まではサンテレビへもネット、1983年からはネット局がテレビ大阪に変更[85])[86]。しかし完全中継ではなく、1月3日 12:00 - 13:54の録画ダイジェスト放送(ゴールは生放送、放送を開始した1979年は13:25 - 14:10の放送)であった[86]。その後、日本テレビが中継することに伴い第62回(1986年〈昭和61年〉)でテレビ東京での放送は終了した。, テレビ東京制作版の映像は長らく日の目を見る機会が非常に少なかったためお蔵入りしたが、2014年(平成26年)に放送された『テレビ東京開局50周年特別企画 50年のモヤモヤ映像大放出! ※第86回(2010年)は関東学連選抜が第9位に入ったことに加え、第3位に入った日本体育大学が跳躍選手の不祥事でシード権を剥奪されたことから、予選会枠が11校に拡大された。, 箱根駅伝に出場できるのは、以下の3種類の方法で選んだ合計21チームとなった(ただし第90回の記念大会では2枠増の23チーム)。, ※なお、第95回(2019年)以降の5年ごとの記念大会では、予選会の枠とは別個に予選会が免除される「インカレポイント枠」を創設する方向で検討され[13][14]、第95回大会では関東インカレ5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が設けられた[4]が、同大会のみで廃止された。, 申込み(チームエントリー、区間エントリー)は関東連盟が提示する日時と場所で所定の様式によって行われ、資格審査委員会の審査によって参加資格ありと認められた大学・競技者のみ正式出場が認められる(内規第8条)[1]。, チームエントリーは16名以内で、区間エントリーのチーム編成は正選手10名と補欠選手6名以内である(内規第9条)[1]。ただし、留学生については、エントリー2名以内、出走1名以内に制限されている(内規第9条)[1]。現行の16人エントリーになったのは第79回(2003年)からで、背景にはここ数年で体調不良によるブレーキやけがによる途中棄権などが相次いだことで、主役である選手の健康を最優先した主催者側の配慮と言える。第82回(2006年)までは区間エントリーの際にメンバーを16人から14人に減らす必要があったが、第83回(2007年)より区間エントリーでも16人のまま登録することができるようになった。したがって、補欠選手はそれまでの4人から6人に増えた(ただし、後述のように往路・復路の当日エントリー変更は、従来どおり4人までの変更に限られている)。, 区間エントリーは1区から10区までにエントリーされた正選手とその他の補欠選手とに大別される。そして、正選手には主催者側が用意したナンバーカードが配布される。ナンバーは1区から順に1、2…となり、補欠選手は11番から16番までとなる。ナンバーカードの記載は「(前年の順位・予選会の順位に従い大学に割り振られた番号)-(1番 - 16番)」となり、例えば前年3位の大学の6区にエントリーされた選手は「3-6」となる(第80回より。それ以前は大学ごとの番号は付されなかった)。, 変更は正選手と補欠選手との入れ替えのみで4名までとされ、区間変更は認められていない(内規第10条2項)[1]。つまり、補欠選手は当日のエントリー変更で正選手と入れ替えとしてどの区間にも入ることができるが、既に区間ごとに配置されている正選手はその区間しか走ることができない(例えば2区に補欠から選手を入れることはできるが、2区と4区の走者を変えることはできない)。通常の駅伝では補欠選手との交代には医師による診断書の提出が義務付けられているが、この大会は長時間の移動への配慮からその必要がないため、戦略的に補欠との選手交代が行われるケースが数多くあり、補欠選手は言わばジョーカー的な意味合いを持つ。逆に区間エントリーで補欠選手と交替した選手は走ることができないため、当て馬的な要素もある。2区にチームで最も力のある選手を置くのが通常であるが、選手層の厚い大学では「つなぎの区間」にエースを配置し、他大学の虚を突くこともある。, 傾向としては往路での変更は比較的少なく、復路で何人かを変えてくることが多い。また、各校のエースが集う2区の変更が最も少ないようである。逆に言えば、補欠選手になるのはエースとまでは行かないものの、それに準じる選手や力がありながら調子が上がらない選手、全くの無名選手…などが考えられる。近年ではいずれかの区間を走るべき確実な力のある(かつ調子のよい)選手、またエースすらもあえて補欠登録して、他校のエントリー状況や往路の結果を見ながらいずれかの区間に投入する作戦を取る大学も見られるようになった。優勝をねらうチームは、ライバル視するチームの配置を読んだ上で自チームのそれを考える必要がある。逆に予選会を勝ち上がってきたチームや苦戦が予想されるチームの中は、往路重視の布陣を敷いてくることが多い。選手層が薄く、後半区間での巻き返しが難しいため、エースクラスを序盤に配置することで落ち込みを避けるのがねらいである。また、どのチームも特殊区間である5区、6区については候補を複数用意していることが多い。これは他の区間とは違い、コースの特殊性ゆえに突発的なアクシデントなどによる急な抜擢が難しい(起用しても適性がない選手が走ることになるため、結果は芳しくないことが多い)ためである。, 全区間が20km超という長丁場であることを考慮し、体調不良など万が一の状況に備えて選手の交替が認められている点が他の主要駅伝とは大きく違う点である。また、なかなか調子が上がらない選手の様子をぎりぎりまで見るという点でも、補欠温存ができるのは非常に大きい。(2006年から2016年は4区が18.5kmだった), 先述したように箱根駅伝には関東学連加盟校のうち、前年大会でシード権を獲得した大学10校と予選会を通過した大学10校の計20校と、このほかに関東学生連合チームを加えた21チームが出場する(2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)[7]。, 本競技会で10位までに入った大学は「シード校」として次回の本競技会出場権を取得する(内規第13条1項)[1]。つまり、前回の本競技会で総合10位以内に入賞していれば本競技会出場権を取得し予選会出場義務は免除される(シード権、予選免除権)。ただしシード権を確保した大学に重大不祥事が発覚した場合、シード権が剥奪される場合がある。, 前回大会でシード権を逃した大学と次の大会の予選会で本選出場権を獲得した大学がすべて一致することもあるが、過去に予選枠が6校だった第56回-第57回、第61回-第62回と、予選枠が9校だった第82回-第83回と、予選枠が10校になった第94回-第95回の計4回しか起きていない。[15], シード校の参加は希望制(日本国内での各学連主催の駅伝大会共通)であるが、不参加チームはいまだ発生していない(出雲駅伝では発生例があった)。, なお、第95回記念大会において関東インカレ成績枠の該当校がシード権を獲得しており出場権を確保している場合には繰り上げは行われないこととされていた[4]。, 第83回から第90回までは関東学連選抜チームが10位以内に入った場合は、シード校は9校となり次回の予選会では10校を選抜するとされていたが(この場合は次年度の出雲全日本大学選抜駅伝競走への推薦校も9校となる)、2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」から「関東学生連合チーム」に名称変更されるとともにオープン参加となっている[3]。, 箱根駅伝の予選会は本競技会の2か月以上前に行われ、別に開催要項が定められている(内規第14条1項)[1]。予選会は陸上自衛隊立川駐屯地内の滑走路を周回し、立川市の市街地を通過して、昭和記念公園内をゴールとするハーフマラソン(21.0975km) のコースを各校10名以上12名以下の走者が走って行われる[16]。, 前年の1月1日から予選会申込期日前日までの公認記録で、10000m34分00秒00の記録(トラック記録に限る)を有する選手のみに出場資格があるため[1]、この出場資格を有する者を補欠も含めて10人以上揃えなければならない[16]。以前はこのような出場資格はなかったが、参加校の増加で予選会の段階である程度出場校を絞り込む必要が出てきたことから、このような資格が設けられた[注 6]。, 予選会では各校上位10名の合計タイムにより10校(記念大会では11校)を選出する[16]。, 当初は関東学生10マイル(約16.1kmコース)での成績を選考材料にしていたが、予選会のコース・距離及び選考方法は、次第に変遷を重ね、現在は陸上自衛隊立川駐屯地→立川市街地→国営昭和記念公園の、ハーフマラソン(21.0975km) のコース[19]で予選会を行なっている。予選会のコースは、第95回から、それまでの20㎞からハーフマラソン(21.0975km)に変更されている。, また、当初は参加校全校が予選会に参加し上位15校が本戦出場する規定となっていたが、第32回(1956年)まではいずれも参加校が15校以下であり予選参加の全校が本戦出場していた。第33回(1957年)からは規定が変更となり、前回大会の総合成績上位10校にシード権を与え、予選会からの本戦出場は予選上位5校のみとなり、これ以降は予選会で敗退校が出るようになった。第48回(1972年)からは予選会からの出場枠が6校となり、第79回(2003年)以降は予選上位9校が本戦出場できることとなっていた(学連選抜の前回大会成績がシード圏内の場合は上位10校が本戦出場)。, 第79回大会から第89回大会まではインカレポイント制が導入されていた。これは予選会では本競技会の出場校の数からシード校を除いた残りの出場校数を、まず、タイムにより6校選び(前回の本競技会において関東学連選抜チームが10位以内に入った場合には7校選び)、残り3校はその年の関東インカレの成績に基づくポイント制との併用により選ぶというものである。具体的には各校上位10人の合計タイムにより、まず上位6校(関東学連選抜が前回大会10位以内だった場合は7校)が予選通過となり、残り3校については関東学生陸上競技対校選手権大会の成績に基づくポイント(インカレポイント)による減算タイムを併用して順位を決定していた。インカレポイントは、大学の陸上部全体の成績が反映されるため、駅伝だけではなく陸上競技部全体としての取組が成績に影響する仕組みとなっている。本戦がテレビメディアに大きく扱われるようになって以後、予選会を突破しての本戦出場には、僅差のタイムにより明暗が分かれることが多い傾向にある。特に第83回大会予選会においては、出場を逃した10位の拓殖大学と9位の国士舘大学とのタイム差は、インカレポイントを含めてわずか1秒だった。, 前年大会でシード権を獲得した大学10校と予選会を通過した大学10校の計20校のほかに関東学生連合チームが出場する(2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)[3][7]。2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」から「関東学生連合チーム」に名称が変更された[3]。, 第79回(2003年)から関東学連選抜チームの参加が認められることとなり、第82回(2006年)までオープン参加として個人記録のみが認められていた。, 5年ごとの記念大会は日本学連選抜チームが関東学連選抜チームに代わって参加することが認められている(内規第12条)[1]。最近では第80回(2004年)で特別に日本学連選抜チーム[注 8] がオープン参加で出場した。, 第79回(2003年)から参加が認められるようになった関東学連選抜チームのメンバーは、予選会で落選したチームに所属する選手のうち個人成績で上位に位置する選手から、各校最大2名までの枠内で選抜される。第80回(2004年)では日本学連選抜としての参加だったこともあり、6位相当の成績を収めたが、通常の関東学連選抜の場合には下位に低迷することが多かった。もっとも、日本学連選抜チームとしての出場の機会しかない関東以外の各地区の学生が最初から選抜チームのメンバー入りを目指し練習してきたのに対し、関東学連選抜チームの場合、所属大学の一員として箱根駅伝に出たいと言う気持ちがあるのは普通のことであり、予選会で落選したショックからわずか2ヵ月後の本番に選抜チームとして招集されたとしてもモチベーションが上げにくいことも事実である。また、大学ごとの真剣勝負の場に趣の異なるチームが混じることへの違和感も根強い[21]。 !extend:checked:vvvvvv:1000:512 早稲田大学競走部HP http://www.waseda-ac.org/ 早稲田大学競走部公式アカウント(ツイッター) この手の番組初めてやりますSP』の中で第59回(1983年〈昭和58年〉)の映像を蔵出しで放送された。テレビ東京で中継されていた時代の最高視聴率は13.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)と同番組の中で紹介されている。, 第63回(1987年)から日本テレビが特別後援に入り、全国ネットの本格的なテレビ中継が開始された[86]。第73回 - 第76回(1997年 - 2000年)はCS★日テレでも同時放送された。, 沖縄県など系列局がない地域やクロスネット局のため完全放送できない地域への配慮としての衛星放送の中継はBS日テレで当日に、また日テレジータスでも大会終了数日後に、それぞれ2時間程度にまとめたダイジェスト版を放送している。なお、鹿児島読売テレビからのスピルオーバー電波を区域外再放送する形で沖縄ケーブルネットワークの「テレビにらい」(地デジ111ch)にて、2020年1月2日と3日に実施する「第96回箱根駅伝」の生放送が決定した[87][88]。これにより、一部エリアには限定されるが、沖縄県でも箱根駅伝の地上波放送が開始された。, ラジオでの中継はテレビでの中継よりも古くから行われ、複数の放送局が中継を行っている(テレビ中継も行っている局はテレビ中継放送ネット局参照)。以下に制作局の体制や概要について記述する。ラジオ中継の実況用の映像は日本テレビが制作、テレビ放送用とは別に各局に送っている。, NHK第1放送で放送。ただし、毎正時の前後にはNHKニュース放送のため数分程度中継が中断し、特に正午のニュースを優先するため春夏の高校野球中継と同様に正午前から20分ほど中継を中断する。基本はラジオセンター132スタジオ内のブースに置かれているモニターに映し出される日本テレビの映像を見ながら実況を行うが、中継車を出しており、3位走行中の選手前後に付く。また各拠点にアナウンサーを配置し、電話リポートで臨場感のある実況中継を行う。コースにラジオ中継車がテレビ取材用報道カメラ車、日本テレビのテレビ中継車などに混じり、選手の動向を追っている。なお、テレビ取材用報道カメラ車は日本テレビの移動1号車の後に付く。, なお、NHKワールド・ラジオ日本では第88回(2012年)までは放送権上の制約および電波運用面の都合上、12時台の中断ニュースを除いて同時放送されず、当該時間帯はFM放送の邦楽関連の年始特集番組や定時番組および地上デジタルラジオ実用化試験放送の音楽番組を中心に別番組へ差し替えていたが、第89回(2013年)からは全編同時放送をしている。, 文化放送では『文化放送新春スポーツスペシャル 第○回箱根駅伝実況中継』として中継。第70回大会(1994年)から完全実況生中継となった。2019年現在、文化放送では『出雲駅伝』『全日本大学駅伝』も中継しており、3大駅伝のすべてをラジオ中継している(そのこともあり、「大学駅伝ラジオ独り占め -FIGHT THE FUTURE-」をキャッチフレーズにしている。ただし、『出雲駅伝』は2014年までプロ野球のクライマックスシリーズと重複した場合、その時間はインターネットのみの放送としていた。2015年は体裁上プロ野球との二元中継形式、2016年からは完全に駅伝優先となった)。, 原則としてNRN加盟局で放送。ただしネット局は基本的に8:30・9:00から中継を開始し、更に一部の局では別番組を放送するため、中継が長時間中断する(11:00飛び降り、12:30(13:00)飛び乗りなど。ただし近年は長時間中継を中断する局はみられない。)。また、文化放送以外のネット局では、局名がつかない『新春スポーツスペシャル 第○回箱根駅伝実況中継』に改題して放送しており、CM明けのジングルも文化放送から裏送りした上で差し替えている。なお、8:00以前と14:00以降は文化放送のみのローカル放送となるため、この間は実況アナウンサーからも「文化放送新春スポーツスペシャル」と読み上げられる。, 中継車を出していないため、メイン実況のアナウンサー(公式サイト上の呼称は「センター実況」、2020年以降は往路:寺島啓太、復路:長谷川太)は、スタジオ(放送上の呼称は「放送センター」)で日本テレビの映像を見ながら実況(いわゆる「オフチューブ」方式)[注 27]。同局の中継とは別に、大学生時代に箱根駅伝で目覚ましい活躍を見せた人物を、往路・復路共通の「メイン解説者」(2021年は柏原竜二)や、往路・復路のいずれかを担当する「ゲスト解説者」(2021年は往路:神野大地、復路:吉田祐也)に迎えている。ちなみに、2020年までは、「センター実況」の担当者と解説陣が「放送センター」で同席。新型コロナウイルスへの感染が拡大している状況で駅伝が開催された2021年には、現役の社会人ランナーから招聘する「ゲスト解説者」のみ、「放送センター」とは別の場所からリモート方式で中継に出演している。, また、「放送センター」とは別のスタジオを「情報センター」という名称で使用。記録・タイムを伝えるアナウンサー1名(2020年以降は往路:長谷川、復路:寺島)、中継所通過時点での順位速報や(1区・6区を除く)区間の走者の氏名・大学名を伝える女性アナウンサー1名(2021年はフリーアナウンサーの小川真由美[注 28])、提供クレジットの読み上げや途中飛び乗り・飛び降りネット局向けの案内を担当するアナウンサー1名[注 29](2021年は往路:坂口愛美、復路:松井佐祐里)を入れている。順位速報担当の女性アナウンサー[注 30]は、2018年まで、twitter上の公式アカウントに寄せられた大会・中継関連のツイートの一部も読み上げていた。2019年からは、ツイートに代わって、「応援一口メモ」(本選出場全校への事前取材に基づく注目選手の情報)を紹介している。, 番組の途中では、ニュース、天気予報、交通情報、さらには首都圏の鉄道情報も挿入される。11時台後半のニュース、天気予報、交通情報はネット局でもそのまま放送される。そのため、通常の「文化放送ニュース」や「文化放送交通情報」・「文化放送天気予報」のジングルは使用しないうえ、「全国のニュース」「首都圏の交通情報・天気予報」といった表現に改め、ジングルは「箱根八里」に変更してネット局に配慮している。なお、ネット局は9:58、10:58、12:58からそれぞれ5分間中継を中断し、各ネット局からニュースや天気予報、交通情報を放送する[注 31][注 32]。また、「情報センター」からの記録の読み上げや、中継所・拠点からのリポート、「応援一口メモ」の直前にはジングルを鳴らし分けている。, 実況については、放送事業局報道スポーツセンター所属のスポーツアナウンサーを総動員。往路・復路とも、すべての中継所と区間内の一部拠点にアナウンサーやリポーターを配置している[注 33]ため、「センター実況」と「情報センター」を担当しないスポーツアナウンサー、「情報センター」を担当しない制作部所属のアナウンサー(2021年は砂山圭大郎)、文化放送の元アナウンサー[注 34](鈴木光裕[注 35])、フリーアナウンサー(2021年は鬼頭里枝[注 36])で分担している。過去には、朝日放送(2018年4月以降は朝日放送テレビ)のスポーツアナウンサーにも、中継所の一部で実況を任せた時期があった。, 以下は2020年のネット局(10:00以降に中継を開始する局は併記)。ただし、テレビ・ラジオのネットワークの関係から、テレビで放送される放送局とは異なる場合もある。, アール・エフ・ラジオ日本は日本テレビグループで、コースに当たる神奈川県を放送対象地域とするラジオ局。いわゆる独立局であるが、文化放送と放送対象地域が重複する北関東のNRN加盟局や一部のコミュニティFM局でも放送。エリア内という事で極め細かく交通情報を流すのが特徴。, 文化放送の制作版と同様に、自前で中継車を走らせていないため、アナウンサーは基本として日本テレビの映像を見ながら実況。ただしスタート・ゴール地点と各中継所には、リポーターを独自に配置している。ちなみに、2008年から2020年まで文化放送の契約アナウンサーとして同局制作分の中継でセンター実況などを担当してきた槇嶋範彦は、2021年からラジオ日本制作分の中継でリポーターを務める。, 関連番組として、毎年12月1日から25日まで「タスキでつなぐ青春の200キロ ―箱根駅伝への道―」を、20時45分から21時まで放送する(これにより短縮される番組がある。山本さゆりのミュージックパークや60TRY部など)。, なお、BBQRおよびUstreamは国内はもとより、海外でも聴取可能であった。また、これとは別に2014年大会ではニコニコ生放送でも配信されている。但しこちらは大会の映像を配信するものではなく、「年末年始ぶっ通し78時間全局テレビ実況」の一環として配信された。コメンテーターに徳本一善(法政大学OB、2000年1区区間賞、現・駿河台大学監督)。, 現在陸上競技を取り扱う専門雑誌はベースボール・マガジン社の『陸上競技マガジン』と、陸上競技社の『月刊陸上競技』(発行は講談社と共同)の2種類がある。, このうち前者が上記の問題を比較的多く取り上げるのに対して、後者は、箱根駅伝そのものは予想なども専門的であるが、一連の問題は取り扱うものの、余り深いところまでは書かない傾向にある。これは後者が箱根駅伝を主催する関東学連とも繋がりが深く、大会協力として当大会に参加しているためでもある。, ただ、『月刊陸上競技』の編集長はたびたび留学生制度に対して苦言を呈していることもある。, なお箱根駅伝の観戦ガイドブックは上記2誌の増刊号として発売されているほか、共催社である読売新聞社、後援社である報知新聞社からも発売されている[注 47]。, 1920 - 1921 - 1922 - 1923 - 1924 - 1925 - 1926 - 1927 - 1928 - 1929, 1930 - 1931 - 1932 - 1933 - 1934 - 1935 - 1936 - 1937 - 1938 - 1939, 1940 - 1943 - 1947 - 1948 - 1949(1941・1942・1944・1945・1946は大会中止), 1950 - 1951 - 1952 - 1953 - 1954 - 1955 - 1956 - 1957 - 1958 - 1959, 1960 - 1961 - 1962 - 1963 - 1964 - 1965 - 1966 - 1967 - 1968 - 1969, 1970 - 1971 - 1972 - 1973 - 1974 - 1975 - 1976 - 1977 - 1978 - 1979, 1980 - 1981 - 1982 - 1983 - 1984 - 1985 - 1986 - 1987 - 1988 - 1989, 1990 - 1991 - 1992 - 1993 - 1994 - 1995 - 1996 - 1997 - 1998 - 1999, 2000 - 2001 - 2002 - 2003 - 2004 - 2005 - 2006 - 2007 - 2008 - 2009, 2010 - 2011 - 2012 - 2013 - 2014 - 2015 - 2016 - 2017 - 2018 - 2019, 読売新聞グループ本社(日本テレビ、報知新聞社、ラジオ日本) - 人物一覧 - 記録一覧 - 新春スポーツスペシャル箱根駅伝 - 文化放送, 東日本実業団(15都道県)- 中部・北陸実業団 - 関西実業団 - 中国実業団 - 九州実業団(九州沖縄), 箱根駅伝(関東男子)- 東海学生駅伝(東海男子・女子)- 丹後大学駅伝(旧びわ湖大学駅伝)(関西男子)- 中国四国学生駅伝(中四国男子・女子)- 平成新山島原学生駅伝(九州男子・女子), 国際千葉駅伝(男女混成、IAAF公認) - 東日本縦断駅伝(男子) - 環日本海新潟駅伝(男女混成) - 中国駅伝(男子) - 横浜国際女子駅伝 - 名岐駅伝(男子) - 淡路島女子駅伝 - 朝日駅伝(男子) - 九州実業団対抗女子駅伝 - 九州一周駅伝(グランツール九州)(男子) - 東日本実業団対抗女子駅伝 - 実業団女子駅伝中日本大会 - 実業団女子駅伝西日本大会 - FUKUIスーパーレディス駅伝 - 日光いろは坂女子駅伝 - 中国山口駅伝(中国地方近辺), 本大会の人物 - 本大会の記録 - テレビ放送体制 - 日本インカレ - 関東インカレ, なお、第95回大会から5000m16分30秒00の基準が廃止され10000mのみとなった, このため各出場校は、1区から使う正規のタスキと、5区が繰り上げになった場合の予備(その場合、この襷は6区以降の走者も使用する)、そして10区が繰り上げになった場合の予備という、3本のタスキを同じデザインで作成し、大会本部に提出して許可を受ける必要がある。, 『箱根駅伝70年史』(1989)には平均タイムが60分を切ったための特例とあるが、この著のベースになったと思われる, 新法人になってからは、ゼッケンの特別協賛のサッポロビールのマークが変わった(サッポロビール→SAPPORO)。, 総合優勝ではない場合、混雑防止などもあってチーム全員がゴールスペースにいることはほぼないため、チーム全員でお辞儀をすることは出来ない。, この記念碑について、実際には、石碑の表面に銅版彫のプレートがはめ込まれており、そこには「東京・箱根 往復(”・”の箇所には聖火トーチの図柄)」と「関東大学駅伝競走第35回記念(”第”は, 大学側にとっても、2日間のレースをテレビで完全生中継する箱根駅伝の方が、もしレースの間中トップを走り続ければ、その大学の名前は一日中テレビに映り続けるため、宣伝効果が高いという事情がある。, 女子駅伝では学生、実業団ともに全国各地にバランスよく強豪チームが分散している。また、男子実業団チームが走るニューイヤー駅伝でも全国各地に強豪チームが分散している。, 番組の途中には、日本テレビから映像・情報の提供を受けている旨のアナウンスを随時挿入。, 2007年以降は、有期雇用契約扱いの女性アナウンサーが代々担当。担当日に文化放送のみで流れる中継直前番組にも出演する。, 正時を跨ぐ都合上、ほとんどのネット局は最初の2分間はCMに充て、時報の後正時になってから各ネット局からの放送という形式を取っている。, 沿道の商店・民間施設の敷地を中継所の実況に借用する場合には、当該中継所を紹介する場合に、当該商店・施設に関するPRコメントを中継担当のアナウンサーが入れることがある。, 2013年より、7:00-8:00の枠で『箱根駅伝直前スペシャル』を自社制作。2012年まで10:00ないし11:00飛び乗り - 14:00。中日新聞ニュースのため一部時間帯に数分間中断。CBCラジオで放送される文化放送制作の番組で唯一の同時ネット放送。, 往路・復路とも、2007 - 2015年・2017年は平塚中継所、2016年は戸塚中継所を担当。, ラジオ日本制作分は関東地方(2013年以前は群馬県を除く)と兵庫・大阪の各府県のみ。, 2019年まで制作局の文化放送および同局と個別の中継回線でネット受けする一部の局(朝日放送ラジオやNRN非加盟のCBCラジオ)はステレオ放送で、NRN回線での配信をネット受けする局(秋田放送・北海道放送・中国放送など)は回線の都合上モノラル放送だったが、2020年はステレオ放送によるネット局が増加した(北海道放送・北日本放送・RSK山陽放送・西日本放送・中国放送・山口放送など。秋田放送などモノラル放送の局もあり)。, ラジオ日本は2011〜13年開催分の予選会の、文化放送は2014年以降の全日本大学駅伝(第46回以降)および2015年以降の出雲駅伝(第27回以降)の配信実績がある。, ただし、公式ガイドブックとなっているものは協力している陸上競技社発行のものであって、共催である読売新聞社のものは公式ではないことに注意。, 出典:サンケイ新聞近畿D版テレビ欄1979年~1983年1月3日付朝刊テレビ欄。なお、近畿放送は京滋オープンゴルフ中継などのため一度もネットしなかった。, https://archive.is/20100915051122/http://www.yomiuri.co.jp/info/info20100823.htm, https://hochi.news/articles/20190401-OHT1T50131.html, http://www.hakone-ekiden.jp/topics/detail.php?newsID=166, http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20080902-OYT1T00558.htm, http://runnet.jp/mrnews/detail/1889541_1786.html, http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061100775&g=spo, “東京箱根間往復大学駅伝競走における関東学連選抜チーム並びに関東インカレポイントについて”, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/06/11/kiji/K20130611005987560.html, 東京箱根間往復大学駅伝競走第4区・第5区の区間距離の変更とそれに伴う中継所の変更について, 四輪製品ニュース - 燃料電池車「FCX」、第80回東京箱根間往復大学駅伝競走で大会本部車として走行, 青学大・神野 山上りで驚異のハイペース「夢なんじゃないかな」 ― スポニチ Sponichi Annex 駅伝, 青学が往路初V!神野、3代目「山の神」襲名!!/箱根駅伝 (1/3ページ) - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ), 【箱根駅伝】青学大が往路制覇“山の神野”原監督も驚く5区で柏原超え : 事業 : スポーツ報知, https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201711070000003.html, https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201711070000126.html, 新春特別研究「マラソンでメダル」が見たいのに……なぜ日本人には「箱根駅伝までの選手」が多いのか, https://www.nikkansports.com/sports/athletics/photonews/photonews_nsInc_202011120000788-12.html, 沖縄ケーブルネットワーク、きょうから日テレを生放送 「ZIP!」「ヒルナンデス」ニュース番組中心に, OCN開局30周年祝う 節目に関係者ら350人 大熊社長「箱根駅伝を沖縄で初放送する」, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=東京箱根間往復大学駅伝競走&oldid=81945979, 本大会の出場校数を19校に変更(シード10校+予選会枠9校、79回大会はシード9校+予選会枠10校で実施), 即位の礼の挙行日程を考慮し、この年に限り10月の第4土曜日(10月26日)に変更。, 3区で日本体育大学、8区で法政大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。, 前年11月の予選会で初めて下位成績の4校が予選会落選。予選上位15校が本大会に出場。, 第33回大会からシード権制度を初めて適用。前回大会の上位10校を予選会を免除して参加可能とする。, 第50回を記念して全20校で実施。過去の全優勝校を参加させるためにシード9校以外で, 2区のみNHKテレビが中継する。中央大学が7区と8区の走者の区間エントリーミスにより、, 中距離及びマラソンランナーの育成を目的として往路の小田原中継所を東京寄りの位置に変更。, 史上初の3校(順天堂大学〈5区〉、大東文化大学〈9区〉、東海大学〈10区〉)途中棄権。, 第85回を記念して全23チームで実施。シード校9校と選抜チーム以外の13校を予選会で選考。, 第90回大会を記念して、シード校10校と予選会を通過した13校の最多23校で実施。, 第95回を記念して全22チームで実施。シード校10校と選抜チーム以外の11校を予選会で選考。, 距離が延長された新5区で初・自身は2年連続の区間賞。2分26秒差を逆転し5人抜きで往路優勝。, 1位との差4分9秒を逆転し4人抜きで往路優勝。自らの持つ区間記録を25秒更新し3年連続の区間賞。, 復路から初の選出。中央学院大学初の区間新記録。中央学院大学史上最高位となる総合3位躍進に貢献した。, 1位との差4分26秒を逆転し6人抜きで往路優勝。自らの持つ区間記録を10秒更新し2年連続の区間賞。, 2区歴代5位のタイムで最下位から2分31秒差で先行する3位までの17人をごぼう抜き。チームの往路3位、総合4位に貢献。, 自らの持つ区間記録を29秒更新し史上2人目4年連続同一区間賞。往路記録の5分5秒更新、更に大会総合記録の8分15秒更新にそれぞれ貢献した。, 風速18m/sの強風の中で1時間20分35秒を記録。日本体育大学30年ぶりの総合優勝に大きく貢献した。, 10区歴代3位の記録で盤石な総合優勝を成し遂げた。また大会復路記録更新にも貢献した。, 5区の歴代記録(コース変更により参考記録扱い)を上回る区間記録で大学初の総合優勝に大きく貢献した。, 39年ぶり12度目となる「全区間首位」での総合優勝の端緒となり、大学2連覇に大きく貢献した。, 2020年10月に予選会、2021年1月に本大会が実施された第97回大会については「, 競技者の所属校が関東学連加盟校で競技者は当該年度の登録を完了していること(内規第4条), 出場申込回数が4回(予選会のみ出場の場合も回数に含む)を越えないこと(内規第7条), なお、開催30周年を迎えた第31回(1955年開催分)は本来開催予定だった予選会が, 他の出場校については当該同年度秋季に行われる予選会に参加し、その予選会上位5チーム, 第80回(2004年)の記念大会では関東学連選抜に代わり、日本学連選抜が参加した。, 関東学連選抜チームは第79回(2003年)から第82回(2006年)まではオープン参加扱いだったため、記録の公認は個人記録に限られ総合順位は付けられなかったが、第83回(2007年)からは総合順位も公認されることになった。関東学連選抜チームがシード権を獲得できる総合順位10位以内に入った場合、翌年のシード枠が1つ減り予選会からの出場枠が1つ増える(第84回で総合4位、第85回で総合9位となっている)。, 第89回(2013年)では関東学連選抜は各校1名ずつ16校からの選出に変更された。, 予選会タイムの上位10チーム(ただし第90回の記念大会では3枠増の上位13チーム), 本大会出場校以外のチームから選ばれた関東学生連合1チーム(ただし第90回の記念大会では編成しない), 予選会通過校(10校) - 予選会での成績上位10校(5年ごとの記念大会では11校), 選出選手は10月に行われた予選会に出走し、かつ本大会出場回数が2回を超えないことが要件となっている(第91回大会から適用), この区間で重要なのは「次につなげること」(先頭の見える位置でタスキを渡すこと)である。スピードランナーや準エースクラスの投入が多い区間だが、集団になれば牽制などでスローペースになったり、それほど大きくばらけなかったりする傾向にある。そのため、鶴見中継所に多数の選手が僅差で殺到することが多い。一方で、各校を代表するエースクラスが集い、他校よりとにかく1秒でも先に出るべく、超ハイペースで進行することもある。また、スタート直後に飛び出して逃げ切りを狙う(俗に言う, 第88回まではコース中に京急蒲田第一踏切が存在したが、立体交差化に伴い、現在は撤去されている(変遷などについては, 第37回(1961年)以降は最長距離区間となっている(ただし第82回(2006年)から第92回(2016年)は小田原中継所の位置が変更となっていて5区が最長距離区間だった)。各校がエース級の選手を揃えて争い「, 第82回(2006年)から第92回(2016年)までは18.5kmとされ、区間距離が大会唯一20kmを切る最も短い区間となっていた。第82回(2006年)にて、往路の小田原中継所が2.5km東京寄りに変更となった(, 第93回(2017年)からは中継所が再び鈴廣前となり区間距離も20.9kmで、第81回までのコースと同じになる, 第82回(2006年)からは距離が延長され、全区間で最長の23.4kmとなっていた。, 第91回大会(2015年)で区間距離は23.2kmに変更された。これは2014年2月7日をもって従来の通過点となっていた函嶺洞門が迂回する「函嶺洞門バイパス」の開通に伴い通行禁止となり、第91回大会(2015年)からバイパスへとコースが変更となったためであり, 5区および6区は非常に気温の低い山中を走る。平地とは温度差があるため5・6区を走る選手の中には, 第80回(2004年)の金栗四三杯創設以来、5区で区間賞を取った選手が同賞を17回中8回(第84回、第87回、第90回、第92回以降以外)受賞している。また、この区間で圧倒的な実力を示した選手に対しては「, 「4年連続同一区間走行選手数」が5区に次いで多く(33人)、復路中最多。3番目である2区はこの半数以下となっており、山の上り下りという特殊性が現れている。, 朝8時台に高地からのスタートという事もあって気温が低く、山中では降雪することも珍しくない。体温低下を防ぐために長袖シャツのユニフォームを着用、またはTシャツにアームウォーマーを併用して体温調節をする選手がほとんどである。, 前日の夜の気象状況によっては路面が凍結して滑りやすくなることもある。その影響により、下り坂の途中で選手が転倒するケースも度々見られる。, 箱根登山鉄道の小涌谷踏切では、往路と同様に選手が通過する際、職員が列車を踏切の直前で一旦停止させる措置がとられている(, 往路(4区)では序盤、平塚中継所通過後直進し、海沿いのコースを通るのに対し、復路(7区)は終盤、大磯駅入口交差点通過後に陸寄りのコースを通るため、4区よりも若干距離が長い。, 10区間中最も走りやすい区間といわれるが、前半に小刻みなアップダウンがある。また、当初は山から吹き降ろす冷気で冷え込むが、太陽が高くなるにつれて気温も上がるため、最も気温差が激しい区間となっている, この区間では、日差しが強いと遊行寺の坂付近で脱水症状を起こしやすい。ここでブレーキを起こすと後の2区間に大きな影響を及ぼすこともあるため、体調管理も重要な区間といえる。, 復路の鶴見中継所は全中継所中最も繰り上げスタートが発生しやすく、さらには手前が他の中継所と異なり引き込み口からリレーゾーンまで約160メートルの直線がある。この為、9区のランナーの目の前で10区のランナーが繰り上げスタートしてしまい襷をつなぐことができず涙する光景が幾度も見られる。, この区間での成績が総合成績に大きく影響する。事実、この区間は逆転が非常に多く、近年では第75回(1999年)の順天堂大学、第79回(2003年)と第84回(2008年)の駒澤大学、第82回(2006年)の亜細亜大学が、いずれも9区での逆転に成功し、総合優勝を成し遂げている。, 1区とは異なり馬場先門から日本橋を経由するルートとなっている。日本橋経由のコースになったのは第75回(1999年)からで、その際に区間が1.7km延びている。六郷橋と新八ツ山橋付近のアップダウンを除きコース全体はほとんどフラットだが、時折ビル風が選手を襲うこともある。, 最終区間である上に、沿道の観衆も増える事から、プレッシャーが一層掛かる区間。第75回(1999年)以降、距離の延長に伴って各チームとも準エースクラスを配する様になり、選手層の厚さが問われる区間になりつつある。近年では, 第88回まではコース中に京急蒲田第一踏切が存在していたが、現在は京急線の高架化に伴い、撤去されている(変遷等については, 1区と6区を除く往路と復路の各区間において給水が実施されるが、給水場所の選定や実施方法については駅伝対策委員会で設定される(内規第15条第6項), 特殊事情によって審判員に走行を制止された場合のロスタイムも原則として競技者の所要時間に含まれないが、この場合の計時も審判員が行う(内規第15条第8項), 出場各競技者の服装(ランニング用シャツ、ランニング用パンツ、トレーニング用シャツ等)は、各チーム統一のものを使用した上で胸部と背部に大会本部指定のナンバーカードを取り付けるが、学連選抜チームについては各選手の所属校のものの着用が認められる(内規第16条第1項), タスキについては事前に連盟に提出された各チーム独自のタスキ2本のうちの1本を中継し、残りの1本は大会本部が保管することとなっている(内規第16条第2項), 途中棄権は1970年代までの50回以上行われた大会の中で3件しか発生していなかった。しかし第71回(1995年)に19年ぶりの途中棄権が順天堂大によりなされて以降、第90回までの20年間で延べ12件の途中棄権が発生している。この20年の間には同一大会での複数校による途中棄権も3度発生している。, 同一大会での途中棄権校の数が最も多かったのは3校が棄権した第84回(順天堂大、大東文化大、東海大)である。また第72回(神奈川大、山梨学院大)、第89回(城西大、中央大)では2校が棄権している。, 同一大会の同一区間での複数校による途中棄権は、これまでに第72回(4区、神奈川大と山梨学院大)、第89回(5区、城西大と中央大)の2度生じている。, 過去2度の途中棄権をしている大学は、順天堂大(第71回、第84回)、東海大(第77回、第84回)、城西大(第85回、第89回)、山梨学院大(第72回、第90回)の4校である。, これまでの計11大会で発生している途中棄権のうち、第71回以降では2年続けて途中棄権が発生するケースが4度生じている(第71回と第72回, 早い段階での途中棄権については、第77回では東海大が、翌年の第78回では法政大が、第90回大会では山梨学院大が、それぞれ第2区で途中棄権している。最も短い距離での棄権は2区7.2km過ぎ地点での棄権となった第78回の法政大である。, ゴール間近での途中棄権については、往路では第84回の順天堂大が5区の芦ノ湖ゴールまで残り500mの地点で棄権している。復路では第52回の青山学院大が10区のゴールまで残り150mの地点で棄権している。, 前年優勝校による途中棄権は、これまで2度生じている。第72回の山梨学院大、第84回の順天堂大である。, これまで途中棄権が最も多い区間は、過去3チームが棄権している2区、5区及び10区である。一方、まだ途中棄権が発生していないのは1区、6区及び7区である。, 途中棄権した大学は以降の区間でオープン参加の扱いとなるが、棄権した以降の区間で参考記録ではあるが区間1位の公式記録を上回るタイムを記録したケースが2度生じている。第85回9区での城西大(復路8区で棄権)、第89回8区での中央大(往路5区で棄権)であるが、いずれの場合も参考記録扱いのため区間賞とはならなかった。ただし、かつては個人記録および一部のチーム記録(往路で途中棄権した場合は復路のチーム記録のみ)が公認されたことがある。第72回の7区と9区の神奈川大(往路4区で棄権)、10区の山梨学院大(往路4区で棄権)が途中棄権した以降の区間で区間賞を獲得している。, 5区、10区以外で途中棄権した場合、次の区間のスタート時間は大会規定により繰り上げスタートと同様の扱いとなっているが、交通事情を考慮し、審判主任の裁定によりそのスタート時間を早める場合もある。第72回の4区で神奈川大と山梨学院大が途中棄権した際は、本来は小田原中継所を1位で通過した早稲田大から20分差でスタートとなるが、交通渋滞を考慮して、最下位(13位)の東洋大が1位から10分03秒後に襷リレーを行った1分後に両校が一斉スタートとなった。第78回の2区で法政大学が途中棄権した際は、本来は戸塚中継所を1位で通過した山梨学院大から10分差でスタートとなるが、最下位(14位)の東海大が1位から4分00秒後に襷リレーを行ったと同時にスタートとなった。, 棄権には至らないものの故障や体調不良によるブレーキの事例が例年生じている。チーム競技である駅伝の特性上、体調を崩したり故障箇所を抱えている場合であっても、選手は「襷をつなぎたい」と思うがゆえに無理を押して走行を続けようとし、監督も棄権は良しとしない傾向が見られる, 途中棄権を回避するには、コンディションの悪い選手のエントリーからの除外、区間エントリー時での補欠選手との交代といった方策がある。また、エントリー数が20チームに増加した第79回(2003年)からは、本番までのチームマネジメントに余裕を与えるよう配慮がなされている。しかし本番直前の時期に調整不足や体調不良であった場合でも、その選手がそれまで良い成績を記録していたりチームのまとめ役だったりすると、本人が強い責任を感じている傾向にある上、監督としてもチーム事情を考慮した上で強行出場させてしまうケースがまま散見され、途中棄権の解消には至っていない。2012年(第88回)大会の東京農業大学5区の選手の様にエントリー締切後に不調を訴えるも、選手が交代できない事案もある。この選手は中盤以降はジョギングほどのペースまで速度が落ちながらも、1位のフィニッシュから約40分後に無事に完走した。, 総合優勝校には、賞状、優勝カップ、金メダル、優勝旗などを授与(内規第24条第1項), 総合1位から10位までのチームを入賞として賞状とトロフィーを授与(内規第24条第2項), 第88回(2012年)の10区では、かつて箱根を走った日大陸上部OB(第9方面隊所属、1年次に7区で区間賞、4年次に主将を務め総合4位に貢献)が先導を担当するというエピソードが生まれた, 第63回(1987年) - 第79回(2003年):サッポロビール(旧法人、現・サッポロホールディングス)。, 一部のトップ選手の場合には日本選手権など世界陸上やオリンピックへの出場を目指して実業団選手と走ることもある。また、近年は関東学連による海外遠征に参加する選手もいる。, 下半期になると各大学のスタイルは、記録会にほとんど出ないところ、予選会突破を目指すところ、出雲駅伝や全日本大学駅伝を目指すところ、というように分かれてくる。特に駅伝では未経験者を試しに使ったり、様々なオーダーを試したりする使い方をする。9月ごろからは再び頻繁に記録会がある。, 予選会に出る大学にとっては、10月中旬の本番までに最高の状態にピークを持っていかなければならない。予選会を突破することが最優先のため、本番の準備(特に5区、6区の山の区間)が遅れがちになる傾向にある。, 11月下旬に各地で開催されるハーフマラソンや記録会が、事実上メンバー選考の舞台となることが多い。エースクラスはともかく、当落線上の選手達にとってはここが正念場である。多くの大学が一堂に会するので、次第に大学間の力関係も浮き上がってくる。ここでの選手記録上位校がスポーツ新聞などの「下馬評」で上位校として取り上げられることが多い。, 表彰式では総合優勝校に優勝旗が授与されるが、前年優勝校が大学に置いたままにしていたためにあわてて取りに帰り、表彰式の開始時刻が遅れたことがあった。, 第63回(1987年)には、最終10区で順天堂大学の選手が、興奮して突然飛び出してきたファンとの接触により転倒した。, これまで、ごくまれに悪天候(=降雪)下で開催されたことがあるが、このために交通手段が影響を受け、選手や関係者が到着できずにあわや失格の危機に瀕した事例もある。, 沿道で配られる読売新聞社と報知新聞社の紙製応援小旗には、近年懸賞応募券が付いていた。これは使い終わった小旗を観客が沿道に捨てるのを防ぐための工夫であった。ちなみに2007年の懸賞は1等から8等まであり、1等は「箱根ホテル小涌園 宿泊招待券」だった。なお2010年の応援小旗は布製で、読売新聞社の小旗は読売新聞の社旗デザインが染め抜かれ、上部に「第86回箱根駅伝」と記されている。, 下述のように箱根駅伝を目標にする選手が多く、一度大学を卒業、実業団に入ったものの「箱根を走りたい」という思いだけで有力校に再入学し箱根を走った選手がいる, 北京オリンピック以降の男子マラソン代表は、全て箱根駅伝経験者で占められている(北京…尾方、, 2019年のMGCでエントリーした31人中、箱根駅伝経験者が25人をも占めており、未経験なのは前述の橋本崚の他、.